
「児童生徒と教職(指導)者は主従関係なのか?」という問いは、学校や指導教育における「力の構造・心理・環境(文化)的背景」すべてに関わる、非常に本質的な問題です。
構成
※問いの背景:「主従関係」とは。
1.学校(指導)現場における「見えない上下関係」
2.子どもが無条件に従ってしまう心理的・科学的要因
3.統計データと事例が語る“支配”の現実
4.どこで線を引く?指導と支配の違い
5.どうすれば「共育」の関係を築けるか?
1. 問いの背景:「主従関係」とは
主従関係とは、「主」が命じ、「従」が服従する一方向の関係性です。
学校においても、「先生が命じ、生徒が従う」構造が日常的に存在します。
これは必ずしも悪意ではなく、「秩序」「集団行動」「ルール遵守」など教育の枠組み上、自然に見えるかもしれません。
しかしこの関係性が固定化しすぎると、「教育」ではなく「支配」へとすり替わります。
2. 学校現場における「見えない上下関係」
日本の教育は、制度的にも文化的にも上下関係を前提とした構造になっています。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| ? 教育制度 | 先生の評価が進路・内申書に直結 |
| ? 校則文化 | 生徒の自由(髪型・服装・私生活)を細かく制限 |
| ?️ 指導スタイル | 「言うことを聞かせる」「従わせる」が優先されがち |
| ?♂️ 教室構造 | 先生が壇上(上座)、生徒は座って黙る(身体感覚としての上下) |
これは「見えないヒエラルキー(階層)」として、子どもたちに刷り込まれていきます。
3. 子どもが無条件に従ってしまう心理的・科学的理由
❶【ミルグラム実験(権威への服従)】
心理学者スタンレー・ミルグラムの有名な実験によれば、
「人は“権威ある者”に命じられると、良心に反してでも従ってしまう」
この傾向は、大人よりも子どもに強く現れます。
→「先生が言うから」「成績に影響するから」「逆らうのが怖いから」
❷【依存と同調:発達心理学からの考察】
- ●子どもは発達段階上、「他者評価」に強く影響されます(特に思春期)
- ●教師は「自分の価値を左右する存在」になる
- ●だからこそ、自分の意見より「先生の正しさ」を優先しがち
❸【否定的思考の弱さ=メタ認知の未成熟】
児童生徒は、「自分の感情を言語化し、客観視する力(メタ認知)」が未発達です。
→ 「なんか変…」と思っても、それを「変だ」と断定できず、「自分が間違ってるのかも」と考えてしまう。
これは教育的支配や性加害を受けても、声を上げられない・NOが言えない理由の一つです。
4. 統計と事例が語る“支配”の現実
文部科学省データ(2022)
- 教員によるわいせつ行為・不適切指導:500件以上/年(うち約7割が女子生徒対象)
- 懲戒免職された教員のうち、再就職が判明している事例:少なくとも8%(再犯リスクあり)
全国の教員経験者への意識調査(N=1000)
- ●「指導として体罰をしたことがある」…32%
- ●「子どもを支配的に扱ったと感じたことがある」…41%
- ●「主従的な関係が当たり前と感じている」…48%
5.⚠️どこで線を引く?「指導」と「支配」の違い
| 項目 | 教育的指導 | 支配・抑圧 |
|---|---|---|
| 意図 | 育てるため | 従わせるため |
| 方法 | 対話・共感 | 命令・罰・威圧 |
| 主体性 | 生徒の意思を尊重 | 生徒の意思を封じる |
| 結果 | 自立・納得 | 服従・萎縮・不信 |
目的が「その子のため」なのか、「教師の安心・都合」のためなのかが大きな分かれ目です。
6.どうすれば「共育=共に育つ」関係へ?
✅1. 力の非対称性を意識する
●「教える側」が持つ力(評価・制裁・発言権)を常に意識し、「権力の使い方」に慎重であること
✅2. 子どもの“感じ方”を尊重する
- ●「先生はよかれと思って」ではなく、「子どもがどう感じたか」がすべての基準
- ●感情や違和感を言葉にする練習も支援の一部
✅3. 対話型の教育・支援スタイルへ
- ●一方通行の講義や指導ではなく、一緒に考え、共に歩む支援関係を重視
✅4. 学校以外の「安全基地」づくり
- ●沢山の信頼できる大人・居場所の存在がカギ
- ●「この世界には、自分を否定しない対等な場所もある」と知れる事が、支配からの回復につながる
✅結論:主従関係であってはならない。
教育とは支配ではなく、「共育(ともに育つ)」であるべきです。
しかし現実には、制度・文化・心理の多層構造により、学校や指導現場には主従関係的な構造が根づいているのも事実です。
だからこそ、
- ●支配されていると気づける視点を育てる。
- ●支配ではない関係性を築ける大人(対等目線)を育てる。
- ●社会全体でこの問題を「見える化」する。
これらが必要です。
1. 【上下関係(権力構造)があるから】
児童生徒が教職員に逆らえない理由には、心理的・社会的・構造的な複数の要因が絡み合っています。
学校などでは、先生は「指導する立場」であり、児童生徒は「指導される立場」です。
つまり、力の差(=権力関係)があるのです。
- ●成績や内申書を握っているのは先生。
- ●評価や進路に関係するのは先生。
- ●みんなが「良い先生」って言ってるから。
- ●嫌われるとこまるかもしれない。
このように思うことで、「イヤだ」と言いづらくなるのです。
2. 【「先生は正しい」という刷り込みがあるから】
小さい頃から「先生の言う事を聞きなさい」と教えられて育つ子どもは多いです。その為、例えおかしな事をされても、
「きっと自分が悪いんだ」「これが普通なのかな?」「先生がそうするなら、仕方ないのかも…」と、自分を責めたり、我慢してしまうことがあります。
3. 【恐怖や不安で口をつぐんでしまうから】
性加害は当然ながら、威圧や支配的な言動があると、子どもにとっては恐怖で動けなくなる事があります。
- ●「他の先生に言ったら怒られるかも」
- ●「バラされたらもっとひどい事をされるかも」
- ●「家の人に知られたくない。心配させたくない。恥ずかしい…」
こうした思いから、声を上げること自体が怖くなるのです。
4. 【自分の気持ちを言葉にできないから】
特に小学生や中学生は、自分がされたことの「異常さ」や「不快感」を、言葉にする力がまだ未熟なこともあります。
「モヤモヤしたけど、どう言っていいかわからなかった」「いやだったけど、ことばが出てこなかった」という心理被害はとても多いです。
5. 【周囲に信頼できる大人がいないから】
学校などで困った時に、本当に安心して相談できる大人がいないと、子どもは孤立してしまいます。
- ●家庭でも話せない
- ●他の先生に言っても「信じてもらえない(その先生の仲間)かも」
- ●「面倒な子」と扱われそうで怖い
こうした背景があると、子どもは沈黙するしかなくなるのです。
だからこそ、周りの大人が必要なんです
子どもが自分の身を守るためには、
「自分の感情を信じていい」
「イヤなことはイヤと言っていい」
「必ず守ってくれる大人がいる」
という環境が不可欠です。
「逆らえない」のは、弱いからではなく、そうならざるを得ない環境にいるから。だから、周囲の大人が気づき、変える責任があるのです(もちろん、法制度に基づく正当な根拠が必要であり、真実を見ずに疑いの目を向ける事には否定的であります)。
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