
昨今の忙しい社会的背景に於いて、児童生徒、特に発達障害や境界知能、不登校傾向のある子たちにとって、「話を聴いてもらえる事」は、単なる「優しさ」ではなく、「生きるための土台」と言えるほどに、大切な事だと思っています。
1.「話を”聴く”事」が持つ本質的な力
【自分の存在を肯定される】
子どもが「自分の話をちゃんと聴いてもらえる」経験は、「自分はここに居て良い存在なんだ」という感覚を育てます。これは自己肯定感や愛着形成にも直結します。
2.発達障害・境界知能児にとっての意味
感情処理が苦手な子ほど、「話す」事で整理される
感情や考えを言語化するのが苦手な子は、 誰かに話す事で「感情や経験を外に出して整理」する事ができます。
たとえば、
●思いを抱えたまま、モヤモヤとした混乱や思考停止、パニックなどを起こす子。
●反抗的な態度でしか、SOS(心の叫び)を出せない子。
こういう子たちにこそ、「話す場」「聴く人」「話して聴く時間や空気感」が大切なんです。
3.カリキュラムや課題より大切な「人間的な土台」
課題やカリキュラムを進めるには、まず子どもが「安全だ」「安心できる」と感じている事が前提です。
しかし、学校や放デイなどの現場では、その日の課題やカリキュラムをこなす事が「目的」になり、子どもの「心」や「本質」が置き去りになることも少なくありません。
本来、教育や学び育みとは、「知識の習得」ではなく、「人として育つこと」が土台です。
つまり、 「やること(Doing)」よりも、「あること(Being)」を大切にする必要があります。
4.「話を聴く」は支援のスタート地点
支援現場では、すぐに何かを「してあげよう」としがちですが、「聴くこと」は、全ての支援の入り口です。
●子どものニーズはどこか?
●子ども自身は何を感じているのか?
これを、「知ろう。わかろう。感じよう。我が心と共に」とする行為が、信頼関係を生み、結果として、他の支援(学習支援・生活支援)も効果が出やすくなるものです。
結論:話を聴く事の再定義
「話を聴く」事は、支援の “ついで” ではない。
「話を聴く」事は、支援の “中心” に据えるべき。
「話を聴く」事ができる人は、それだけで専門家に匹敵する意義がある?
補足:Guardian的に言うと…
「話を聴くこと」は、HEARTメソッドの中でも以下のように位置づけられます:
●H1. 個性の把握。
●E1. 感情ラベリング。
●R1. “関わる”安全基地の提供。
●T2. 物語の言語化支援。
つまり、「”話(子供たちの心の声”) を ”聴いて視る” 事は、“支援” ではなく “共に生きること”」なんです。

